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足寄物語~Ashoro Stories その22 あしょろ銘店探訪#6 「ハウス焼肉亭足寄本店」

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その日は、同じ地域おこし協力隊の仲間である町の人気者「金ちゃん」こと「金根(きん こん)」くんと揃ってランチに出かけた。

午後1時もとうに過ぎ、腹ペコの二人が目指したお店は、足寄の焼肉店の草分け「ハウス焼肉亭」。足寄町民でここの焼肉を通っていない人は皆無だろう。久々の焼肉亭に胸躍らせて店の暖簾をくぐった。

 

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「あしょろ銘店発掘プロジェクト」通称「銘店カード」ナンバー11となっている「ハウス焼肉亭」は、足寄町出身の「原田 茂(はらだ しげる)」、後志の神恵内村出身の「陽子(ようこ)」夫妻が1985年(昭和60年)に創業した。道内のホテルなどで調理人として働いていた茂さんは、一時期釧路にある有名な焼肉店でその腕を振るっていた事があり、奥様の陽子さんとは、そこで知り合い結ばれた。その後、一旦道外へ出たものの、足寄に住む両親から「戻ってきてほしい。」と懇願され、1978年(昭和53年)故郷・足寄に一家でUターンした。3歳の長女、1歳の長男、陽子さんのお腹には3人目の子が宿っていた。そうして足寄に帰ってきた茂さんだったが、なかなか自身のキャリアを生かせる仕事が見つからず、以前勤めていた釧路の焼肉店で働こうかと考えていた矢先、町内の建設会社の社長がオーナーとなり、焼肉店をオープンさせる話しが舞い込み、夫婦でその店で働く事にした。その焼肉店こそが以前このコラムで名前を出した「ラッキー亭」。自分が中学2年の時、1979年(昭和54年)にオープンし、当初はバイキング形式のお店だった。

早速オープンの日に来店すると、銀行の建物をリノベーションした広い店だったにも関わらず、たくさんの客であふれかえっていた事をよく覚えている。

 

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この「ラッキー亭」、実はオーナーの息子が自分と同級生で自宅が2階にあった事もあり、よく遊びに行っていたし、高校生になると、やれ学校祭の打ち上げだ!とか、クラス替えのお別れ会だ!と言っては、偉そうに宴会させてもらっていた。陽子さんは当時の事を「ほんとに大変だったわ。大メシ喰らいで!」と懐かしそうに話してくれた。自分の記憶にある原田夫妻は、「大人しそうなおじさん」と「元気そうな、いや元気なおばさん」。

とりわけ陽子さんは、口が悪いが、裏表のない、すっきりとした人だったから、悪ガキ共もラッキー亭のおばちゃんに懐いていた。今回の取材で久しぶりにお会いしたが、往年のべらんめぇ調は衰え知らず。名前を聞けば「陽子!太陽の陽に子どもだっ!」足寄に帰ってきた時の事を聞けば「だまされて連れてこられたんだっ。」おすすめは?と聞けば「わたし!」と次から次へと陽子節が飛び出し、取材の場を一遍に明るいものにしてくれた。

やっぱりおばさんは、「太陽の子」なのだ。

 

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原田夫妻は「ラッキー亭」閉店後、「ハウス焼肉亭」をオープンさせたのだが、当初茂さんは、店舗を新築するかどうかで迷っていたそうだ。

そんな迷える亭主にあの方がこんな一言を。「なにさ!借金なんかどうとでもなるんだから、店建てなさい!」この太陽の子からの男前な一言に背中を押された茂さんは、店舗を建てる事を決意。それが今の「ハウス焼肉亭」だ。既に町の人からは絶大な信頼を得ていた茂さんの味は、焼肉亭となった後も支持され続けた。一方で傍から見ると、順風満帆な経営のように見えたが、実はこれまでに茂さんが4回程倒れた事があったという。その時の事を陽子さんはいつもの口調でこう振り返った。「冗談じゃなくてさ。4回目に倒れた時は『あぁ。もうこの人は死ぬんだな。』って思ったよ。」「原田のじーさん、ばーさんはいるし、子どもも3人いるし、これからどやって食べさせていこうって覚悟したもん。」あっけらかんとその時の覚悟を語る陽子さんだが、幸い茂さんは予想を裏切り(!?)、彼女の覚悟は杞憂に終わった。

 

そんな二人を「ラッキー亭」時代から支える従業員がいる。足寄の人なら皆知っている「焼肉亭」のおねえさんだ。名前を「水谷京子(みずたに きょうこ)」と言う。京子さんは、三重県生まれ。松山千春ファンが高じて、足寄にやって来たという熱狂的な千春フリークだ。その当時の事を陽子さんが

こう教えてくれた。「最初はさ、もう三重に帰りたいんだけどお金がないから3ヶ月くらいアルバイトさせてくれって。だからいいよって来てもらったら、今もまだいるのさ。」3ヶ月のつもりが40年。自分よりも足寄に住んでいる時間が長い先輩町民だ。原田夫妻はもちろん、この京子さんの顔も見ないと焼肉亭を訪れた気がしない。店の看板娘の一人だ。

 

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金くんとのランチタイム。我らが選んだメニューは「愛寄牛(あしょろうし)サーロイン定食」だ。

「足寄ひだまりファーム」が肥育する足寄のブランド牛の定食が1,100円で味わえる。腹ペコの我らは今か今かと肉の到着を待っていると、コンロに火を点けに来てくれたのが京子さん。続いて待ちに待った「愛寄牛サーロイン定食」を運んで来てくれたのは、陽子さん。看板娘揃い踏みの豪華リレーだ。早速、肉をコンロに乗せるとやっぱり「ジュゥゥゥゥゥ」というあの音だ。金ちゃんなどは夢見心地。丸いメガネの奥の目がうっとりとしている。

頃合いを見て箸で肉を掴み上げ、そのまま特製のたれの海を泳がす。そして一気に口の中へ放り込んだら、さあどうなる?「美味い!!」とそう声に出るんだ。そこからは一気呵成に肉を喰らう。金ちゃんなどはアッという間にメシを平らげ、中ライスをおかわりだ。陽子さん手作りの「大根の粕漬け」がまた箸休めに最高。二人で「美味い。美味い。」とかっ喰らっていると、「黄金の看板娘ズ」とは違う女性が「うちで一番人気のサガリです!どうぞ。」とサガリ肉をサービスしてくれた。この女性こそ「ハウス焼肉亭」の2代目、「原田和正(はらだ かずまさ)」の奥様「百恵(ももえ)」さんだった。焼肉亭は今、この若夫婦が中心となって切り盛りしている。

 

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現在の「ハウス焼肉亭」の大黒柱、和正さんは、茂さんと陽子さんの長男。茂さん一家が、足寄に戻って来た時に1歳だったあの子だ。

足寄高校を卒業後、札幌に出て有名ファミリーレストランの会社に就職した和正さん。高校時代に「ゆくゆくは継ぐのかなぁ」と朧気ながら考えていた事もあり、1年間の調理研修も受けられるその会社を選んだ。2年と少し働いた後、給食を拵える会社へと転職。しかし「どうせ焼肉亭を継ぐんだからだらだら札幌にいても」と、その会社も1年余り勤めた後、辞め、足寄に戻った。帰ってきた当初は、「札幌でやっていたし、足寄なんか大した事ないべ。」と高を括っていたが、いざ父の下で働いてみると、その考えは見事に覆された。「大変でした。」と2代目は当時を振り返る。一方、そんな息子に対し、父が手取り足取り教える事はなかった。「やるからには責任を持ってやりなさい。」そう伝えただけで、息子の仕事をじっと見守ってくれた。そんな父の下、2代目は毎日肉を触り、考え、調理した。その変わらない父と子の日々がいつの間にか彼の経験となり、今では見たり、触ったりしただけで、肉の個体差、良し悪しが分かるという。それが2代目のこの25年の、あの日々の、証しなのだ。

 

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母が父を支えたように、2代目を支える奥様の百恵さんは、北見市のお隣の訓子府町で生まれ育った。北見で働いていた時、共通の知人の紹介で和正さんと出会い意気投合し2013年に結婚。新たに焼肉亭の看板娘ズに加わった百恵さんは、嫁いでみると「こんなに忙しいと思ってなかった。」とびっくりしたという。「夏になると皆さん、外で焼肉するので、テイクアウトの注文もすごくて。『そっかぁ。こんな忙しいとこに来てしまったんだぁ。』って思いました。」と笑いながら当時を振り返った。

それから10年。百恵さんはすっかり焼肉亭の顔として足寄の町民に知られている。はつらつとした爽やかな受け答えで好感度は抜群。「訓子府はどうしても北見に行ってしまうので、町内にはなにもないんですけど、足寄はほぼほぼここで事足りてしまうので、特段住みにくい事もありません。」と町にもすっかり馴染んでいる。

 

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「ハウス焼肉亭」は、足寄の本店のほかに幕別町札内に「札内(さつない)店」がある。こちらは原田家3人姉兄弟の末っ子である「佳和(よしかず)」さんが、店を取り仕切る。この佳和さんは、高校を卒業するとすぐに焼肉亭を手伝い始め、兄が帰ってきてからは兄弟で調理を引き受けていた。そんな息子たちに対し、茂さんは、「二人で一つの店では、将来ぶつかり合う事もあるかもしれない。」と2008年に札内店の出店を決め、本店は2代目に任せ、次男の佳和さんと共に札内店へと移った。その札内店もすっかり地元に馴染んだことから、茂さんは2年ほど前に足寄に戻り、いよいよ焼肉亭は、息子たちの代へと歩みを進めた。

2号店「ハウス焼肉亭札内店」は、住所が、中川郡幕別町札内北町27-3。住宅街の一角にある。帯広近郊の方はこちらにも是非行ってみる事をおすすめしたい。

 

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「ハウス焼肉亭」は、お昼営業から夜9時まで休みなく通しで営業する。お昼は、「カルビ定食」や「サガリ定食」我らがいただいた「愛寄牛サーロイン定食」などの定食類や、「豚丼」「カツ丼」「親子丼」といった丼物やカレー、ラーメンなどもある。そしてお肉各種。人気メニュー第1位は百恵さんがサービスしてくれた「サガリ」2位は「カルビ」3位「上タン」以下「豚ホルモン」「上ミノ」と続き、十勝のブランド豚「かみこみ豚」もおすすめだそうだ。サイドメニューも豊富。スープ類やご飯物などなど老若男女、家族で訪れ、存分に舌鼓を打ってほしい。

足寄出身者は、実家に帰省する度、焼肉亭を訪れるという人も少なくないだろう。百恵さんに聞くと、「昔、高校生の頃に食べ放題に来てくれていた子が、子どもを連れて来てくれたりするんです。」との事。そんなだから焼肉亭の店の質を落とす訳にはいかない。

和正さんは、「お父さんと一緒に。弟と一緒にやってきた店だから、しっかりやらんとダメだなと思っている。」とそう話してくれたが、実は、コロナ禍、そしてロシアのウクライナ侵攻以降の物価高騰の影響は焼肉亭にとっても例外ではなく、仕入れ値と売値のバランスを、なるべく味を落とさずに取る事に2代目は日々苦慮している。「お客さんに迷惑を掛けないように、やれる努力は最大限にしているんですけど・・・。」とジレンマに苦しむ心の内を覗かせた。

そんな2代目に、今後について聞くと「特別な事は考えていない。両親がやってきた事を『維持』する事。守りって言われるかもしれないけど、たまに

足寄に帰って来ても『変わらないね。』『前と一緒。』って言ってもらえるよう踏ん張りたい。親がそうだったように、今のお客さんを大事にという

スタンスを変えないでやって行こうと思っています。」と自分に言い聞かせるように話すと、横に座る百恵さんの顔を見て「そんなとこだよね?」と言葉を投げかけた。それに対し、百恵さんも2代目の顔をしっかりと見返すと、小さく「うん」とそう答えた。

 

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時を経て、時代が変わり、焼肉亭を訪れる客にも少しずつ変化があるという。和正さんは「お酒呑みが減った気がする。」と言い、「時節柄もあるけど、宴会があっても、規模が小さくなった。」そう話してくれた。一方で「一人焼肉の人が多くなった。」そうで、陽子さんは、「一人で食べて飲んで、多い人なら5人前も6人前も食べてくよ。」との事。またコロナ禍以前は、外国人客もインターネットなどで調べて来店していたそうだが、一度

こんな事があった。ある外国人客が来店し、その2~3日後にまたやってきたという。さすがに何度も来てくれる外国人客はいなかったので、声を掛けてみると、「美味しかったからまた来た。」とうれしい一言。片言の英語ながら会話も弾み、和正さんが、「北海道を周ってどこが一番良かったの?」と問うと、その外国人客はこう答えたそうだ。「ここです。」

そうだ。「ここ」は最高なのだ。寡黙に美味しいお肉を提供し続けた父、その父を太陽のように照らし続けた母、その志を受け継ぐ息子と、支える

奥様。だから「ここ」は最高なのだ。3ヶ月のアルバイトのはずが、居心地が良くて40年もいる看板娘だっているんだから。やっぱり「ここ」は最高なんだ。取材を終え、帰りしなに陽子さんに「おばさん変わらず元気で良かったわ。」と言うと、太陽の子はこう返してきた。

「おばさんじゃないでしょ!おねえさんでしょ!!」やっぱり「ハウス焼肉亭」は最高だ。

 

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「あしょろ銘店発掘プロジェクト No.11『ハウス焼肉亭足寄本店』」 

 

足寄郡足寄町南2条2丁目4  (0156) 25-2989 

営業時間 11:00~21:00 月曜休(祝日の場合は翌日、月1回程度月曜火曜連休有り)

 

「ハウス焼肉亭札内店」

中川郡幕別町札内北町27-3 (0155) 56-2989

営業時間 ランチ11:00〜14:00、ディナー 17:00〜22:00 月曜休(月曜日が祝日の場合は水曜日)

 

 

※ コラム内の情報は、2023年3月現在の情報です。

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追記)

2023年11月、病気療養中だった「ハウス焼肉亭」創業者「原田 茂」様が永眠されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。

このページの情報に関するお問い合わせ

NPO法人 あしょろ観光協会

電話番号
0156-25-6131
ファックス番号
0156-25-6132

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