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足寄物語~Ashoro Stories その26 「足寄ひだまりファーム / Café de Camino / BLANK HARDCIDER WORKS(前編)」

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こんなところで身の上話もなんだが自分は足寄町で3代続く酪農家に生まれ、うまく道を外さなければ、今頃4代目として牛飼いをしているはずだった。しかし、元来はねっ返りの資質故なのか、敷かれたレールの上を歩く事を良しとせず、周囲の期待を大幅に裏切って、足寄を飛び出した。

そんな風に己の好きなようにしてきた自分ではあるものの、農家を継がなかった事へのうしろめたさのような気持ちを心の隅に持ち続けてきたようにも思う。だからかどうか理由は分からないが、農家を継いでいる後継者に対しては、人一倍リスペクトしている気がしてならない。

ただただ「偉いなぁ。」とそう思うのだ。

 

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そんな足寄の農業後継者の一人で、自分がひと際リスペクトし、注目している男がいる。

町内の螺湾(らわん)地区で「足寄ひだまりファーム」という農業法人を経営する「沼田正俊(ぬまたまさとし)」。

この男、農業という概念に捕らわれず、自由自在に動き回り、次々とイノベーションを起こしている。オンネトーへ向かう国道241号沿い、ファームの

一角に建てた「カフェ・デ・カミーノ」。街中では、昔の農協の建物と、その隣の「いとうフルーツ」だった建物をリノベーションし、クラフトシードルの醸造所「BLANK HARD CIDER WORKS(ブランク・ハードサイダー・ワークス)」に生まれ変わらせ、2023年足寄産のシードルを作ってみせた。農業後継者だからという範疇に収めなくても、彼の動きは敬意を表するに値するものだ。

 

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現在の「ひだまりファーム」である沼田家は、「足寄百年史」によると1906年(明治39年)「沼田喜佐エ門(ぬまたきざえもん)さんが、福島県東白川郡から螺湾に入植したのが始まりである。

この初代から数えて、沼田は5代目。農業は曾祖父が始め、祖父の「茂正(しげまさ)」さん、父の「正文(まさふみ)」さんと繋いできた。

正文さんは当代を息子に譲るも、妻で沼田の母である「範子(のりこ)」さんと共に現役ファーマー。先日も暑い最中、軽トラを駆って、エゾ鹿が畑に侵入するのを防ぐ電牧の修繕に追われていた。

また、範子さんは、甲高い声でケラケラと笑いながら周囲を明るくする「ザ・農家のかーさん」だ。

とても楽しくて、面白い方なので是非一度会ってほしい。そして、もう一人、重要な人物を忘れてはいけない。常に動きを止めない沼田を、地べたを

這いつくばるが如く支えている奥様の「貴子(たかこ)」さんだ。

こういう表現をすると、逞しい女性を想像するかもしれないが、貴子さんは、驚くほど小柄で華奢な女性だ。ただ一方で「逞しい」という表現も近からずとも遠からずなのも確か。先日、協力隊2名でハードサイダー用の林檎を植えるための手伝いに伺った際、畑に支柱を一列に立て、林檎の苗木を括りつけるためのワイヤーを張る作業をしていたのだが、男2人で思い切り引っ張ってもなかなかピンと張れず悪戦苦闘していた。一方貴子さんは、一人で作業しているにも関わらず、ワイヤーは見事なばかりに張りつめている。その張り具合は、凛として、美しくさえ見えた。

「これは力じゃないんだよ。コツがあるんだ。きっと」と素人のおじさんは、さも分かっている風に若者に解説し、貴子さんに、得意気に質問した。「力じゃないですよね?コツがあるんですよね?」 すると彼女は、おじさんを一瞥する事なく、かつ絶妙な間でクールにこう答えた。「力ですね。」

知ったかおじさんは秋でもないのに、熟した林檎のように真っ赤になって、無言で作業を再開した。

 

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1977年に足寄で生まれた沼田は、螺湾中学校から帯広の名門柏葉高校に進学している。彼曰く「勉強とかじゃなくて、陸上をやりたくて柏葉に進学したんですよね。」沼田は、陸上競技に打ち込み、将来も「陸上でメシが食えたらって考えてました。」そんな彼が選んだ職業は「教師」。体育の先生を

目指したのだ。しかし、後の運命がそうしたかのように、沼田は大学受験に2度失敗。教師の道を諦めると、「どうせ農家を継ぐんだったら、大学も

農業系の大学にしよう。」と帯広畜産大学に進学した。あの時、もし沼田が教育大に受かっていたら、「ひだまりファーム」はおろか、「カミーノ」も「ブランク・ハードサイダー・ワークス」も無かったのだと思うと、やはり運命を感じてしまう。

神様は足寄に戻る「道」=「カミーノ」に沼田を導いたのだと。「カミーノ」はスペイン語で、「道」という意味だ。

 

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沼田が畜大に進学した2年後に、神戸生まれの貴子さんが、後輩として畜大に入学した。

「牛が好きだったみたいですよ。」沼田は言った。

貴子さんは、牛も好きだったが、沼田の事も好きになった。二人は貴子さんが卒業すると同時に結婚。

式は、卒業式の翌日だったそうだ。そんな二人には、現在高校3年生の長女を頭に、中3,小6,小3,そして年中さんと5人の子宝が授かった。

女の子3人に、下の2人が男の子。この5人に、あのおばあちゃんがいるなら、さぞ賑やかだろう。「いいですねぇ。」と言うと、沼田は、「ハハハハ・・・」と苦笑いした。

ちなみに足寄では、5人お子さんがいるというのは、そう珍しい事ではない。3人以上は割と当たり前だ。それだけ子育てしやすい町という事になる。

「足寄ひだまりファーム」は、そんな大家族の沼田家が農業事業を担当している。

 

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「足寄ひだまりファーム」では、ホルスタインのオス肉牛の肥育、そして、外部からホルスタインのメスの子牛を預かり、10か月までの育成を行う畜産を中心に、小麦、大豆、とうきび、ジャガイモ、かぼちゃなどの栽培と、畑作も手掛けている。ファームを訪れると、いくつもの牛舎が建ち並び、迷子になりそうになるが、白と黒の牛たちが顔を出し、心が和む。我ながらこういうところに牛飼いの息子だった名残を感じる。犬や猫よりも牛の方がホッとするし、おっかなくないのだ。また、沼田さん家の牛の人懐っこい事。こちらが近づくと、嫌がりもせずに逆に寄ってくる。

沼田に、その事を伝えると「あんまりエサやってないから、もらえると思ってんじゃない。」と冗談を言って笑った。

そんな人懐っこい「ひだまりファーム」の牛たちは、ほとんどが町外へ出荷されるが、沼田は町の人にも食べてもらいたいと、地域ブランド名として「愛寄牛(あしょろうし)」と名付けた。愛寄牛は、町の焼肉店「ハウス焼肉亭」でお手頃な値段で味う事が出来る。

そして、「ひだまりファーム」と言えば、夏から秋の初めにかけて国道241号沿い、「カフェ・デ・カミーノ」の横にオープンする「とうきび」の直売所が代名詞だ。これは沼田の祖父「茂正」さんの代から始めたもので、40年程も前からスタートしているという。ここでは生のとうきびに加えて、茹でたものも直売しており、1シーズンに3万から4万本を売るそうだ。種類も、普通の黄色いものに加えて、生でも食べられるという白いとうきびがある。この直売所に加えて、ファームのサイトでのEC販売もあるし、更には、足寄町のふるさと納税の返礼品にもなっているので、あなたも「ひだまりファーム」の美味しいとうきびを味わってみてほしい。

 

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足寄に戻り、農場を継いでから20年。「足寄ひだまりファーム」へと法人化してから18年。その間、経営に行き詰った事もある。

「最初の10年は苦しかったなぁ。」と沼田はつぶやくように言った。そんな時代を家族で乗り越え、農場の経営も軌道に乗った。

がしかし、沼田はジッとはしていられなかった。2019年、彼は新しい冒険の船を漕ぎだす。そしてその船に飛び乗ったのが、「ちかちゃん」だった。

 

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「細矢千佳(ほそや ちか)」、彼女は現在「カフェ・デ・カミーノ」の店長を務め、更には「ブランク・ハードサイダー・ワークス」でシードルの製造にも関わるスタッフだ。農業以外の業務においては、沼田の右腕となっている。「ヘヘヘへ」と笑う顔がなんとも言えなく魅力的なちかちゃんは、1992年山形県酒田市で4人姉妹の次女として生まれ、父は教員、母は助産師の家庭で育った。

そんなちかちゃんが、北海道を意識したのは、高校2年生の時。陸上部の合宿で北海道を訪れた彼女は、「あぁぁ。なんてイイ所なんだぁぁ。」と感激し、いつか北海道に住みたいと思ったという。「でも、そのいつかはいつなのかは考えてなかったんですけどね。」とちかちゃんは言った。

しかし、その「いつか」は割と早くに彼女の元へとやってきた。

高校を卒業したちかちゃんは、志望する大学への進学に失敗する。そして翌年の志望校を考えた時、環境について勉強をしたかった彼女は、農業系の

大学に行くなら「北海道だ!」と憧れの北海道行きを決意し、帯広畜産大学に進学したのだ。

奇しくも、彼女の歩みは、現在のボスである沼田正俊と似ている。まずは陸上をやっていた事。大学進学で浪人を体験した事。そして再考して進学したのが、帯広畜産大学だった事だ。これもまた運命だが、二人の「道」=「カミーノ」は、まだ交差していない。

 

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畜大に進んだちかちゃんは、「農業害虫の防除」を大学院まで進み、研究していた。

しかし、彼女の当初の目的は、「ホントのホントは、私、畜大に来て、チーズを作りたかったんですよ。」彼女は、唐突にそうカミングアウトした。「だから、大学に入ると『ミルククラブ』っていうサークルに入って、道内のチーズ工房を見学したり、協議会に参加してたりしてたんです。」

足寄の「しあわせチーズ工房」にも来た事があるそうだ。「そうやって、チーズ作りを勉強していたんですが、気づいちゃったんです。」なにを?

「私、作るのが好きなんじゃなくて、食べるのが好きなんだ!って」。ちかちゃんは、つぶらな目を見開いてそう言ったと思ったら、いつものように「ヘヘヘヘ」とまたあの笑顔を見せてくれた。

 

そんな、ほんわかのんびりした彼女だが、実は芯の強い、大胆素敵な行動的女性でもある。

大学院に進んだ彼女は、学校を1年間休学し、バイトして貯めたお金で旅に出た。行先は「中南米」。どうして中南米?

「本当は世界一周したかったんだけど、お金がかかるのと、1年で周ろうと思ったら、移動だけで終わってしまいそうだったから中南米にしました。

中南米は陸続きだし、言葉もブラジル以外はスペイン語だから、スペイン語覚えてしまえば会話も出来るし、どうせ旅するなら、あまり行けない所の方がいいなって思って。」こうしてちかちゃんは、まず中米へ飛び「グァテマラ」へ入った。「グァテマラにはスペイン語学校がたくさんあるので、まずは1か月滞在してスペイン語を勉強しました。」行ってから習うんかーい!さすが大胆素敵なちかちゃんだ。

 

スペイン語学校に通う事1か月、日常会話に困らなくなると、まずはグァテマラ国内を周り、「あっ。行けるな。」となったところで、彼女の本格的な中南米縦断が始まる。「グァテマラ」から「ホンジュラス」「エルサルバドル」「ニカラグア」「コスタリカ」と中米を南下し、「コロンビア」から

南米に入ると、「エクアドル」「ペルー」「ボリビア」「アルゼンチン」「チリ」そして「パラグアイ」をそれぞれ1か月弱程度滞在しながら巡っていった。しかし、南米を女性一人で旅などとは、危険な目に遭わなかったのだろうか?「遭いましたね。一番危なかったのは、ボリビアで首絞め強盗に襲われた事ですかね。」ちかちゃんは、何事もなかったかのように、大事を語った。そんな危ない目にもあった南米縦断だったが、彼女にとっては大きな収穫もあった。「それまでやらなければいけない事に追われて、自分自身の事を考える時間がなかった。中南米に行って、何もする事が決まってないから、最初はそれに戸惑ったんですけど、自分だけの事を考える時間を持てたのは、良い時間だったなぁって思います。」そして中南米では、自身のコミュニーケーション能力の高さに気づいたという彼女。思い返せばそれぞれの国の絶景なども良かったのだが、それよりもあの国であの人に良くしてもらったとか、あの人とこんな事をしたとか、誰かと関わりを持った場所が印象に残っていたという。

「自分もそんな人と人とが関わる場作りが出来たら。」とちかちゃんは思い始め、すると自ずと、自身の進むべき道が見えてきたような気がした。

 

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後編へつづく

足寄物語

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