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足寄物語~Ashoro Stories その23 「株式会社アイザックス」

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「足寄で育ってさ、足寄を出てみて、外から足寄を見てな、この町に良いとこってあるんかな?」

名刺を渡し、これまでの経歴や現在の役割を伝えると、彼はいきなりこんな質問を投げかけてきた。

取材に伺って、先に質問をされたのは初めてだったから、少し面食らったのと同時に、「面白そうなおじさんだなぁ。」とそう思った。

今回の取材は、そんな我が町が抱える観光課題についての会話からスタート。足寄町役場経済課商工観光振興室に片足突っ込んでいる身としては、

ヘラヘラと笑ってやり過ごす訳にはいかない。1年半程ではあるが、体感し勉強した観光についての事や、町の観光課題など話していると、アッという間に30分が経過した。「面白そうなおじさん」は、「ここに住んでるからここだけ繁盛すればいいだろう。ってそういうもんじゃないと思うんだよね。もうオール北海道でやらんとさ。」「足寄は帯広空港、釧路空港、女満別空港、それぞれから大体同じような距離なんだからさ。なんかやりようがあるんじゃないかなぁ。」と自身の考えを次々と披露してくれた。その視野の広さと、観光に対する考え方は、これまで受けたオンラインセミナーなどで

多くの専門家が話してくれたそれとおおよそリンクした。「やっぱりこのおじさん、面白そうだ。」改めてそう思うと、これから話を聞く小1時間が一気に楽しみになった。

 

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「面白そうなおじさん」の正体は、道の駅あしょろ銀河ホール21から、国道242号を陸別方面に向かい、利別川を渡った下愛冠(しもあいかっぷ)地区にある農場「株式会社アイザックス」の会長「相澤 勲(あいざわ いさお)」73歳だ。「面白そうなおじさん」は、「面白そう」ではなく、予感通り「面白いおじさん」だった。

「アイザックス」は、相澤が会長を務め、奥様の「栄子(えいこ)」さん、取締役の長女「まさ子」さん、そして代表取締役の三女「遠藤さちこ」さんの4人で営む家族経営の農業法人だ。今時期の春先は「アスパラ」のハウス物から始まり、路地物へと移行して、初夏まで収穫が続く。その後、夏から

10月いっぱいまでは「ナスビ」。野菜類がひと段落した11月からは、「アイザックス」の代名詞とも言える「しいたけ」がにょきにょきと顔を出し、

年を越して4月の上旬まで収穫が続く。更に真夏の暑い期間、ほんの2か月程だが、北海道では珍しい「きくらげ」の栽培も行っている。この4品目が「アイザックス」の主力作物で、それらは、生で販売するほか、キノコ類は乾燥させた商品が市場に出回る。「アイザックス」の野菜や、キノコの味はもう足寄ではお馴染みで、アスパラの出初めに、SNSで「アイザックスさんのアスパラ販売開始!」とポストすると、町内のフォロワーや友人から

「アイザックスさんの野菜美味しいよね!」とコメントやメッセージが次々に届いた。

 

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届いたメッセージの通り、「アイザックス」の野菜やしいたけは、本当に美味しい。今の時期、道の駅などで販売中のアスパラは、極太のサイズ感に

びっくり。グリーンと紫があって、有機無農薬で安心・安全。朝採れを持って来てくれるが、アッという間に売り切れてしまう。

そして秋から冬のシーズンに大人気の「しいたけ」も肉厚で見るからに美味しそうだし、実際に美味しい。自分も秋になって焚き火をし、炭火を熾して一杯飲る時は、必ず「アイザックス」の「しいたけ」を欠かさない。炭火でじっくりと炙り、仕上に醤油をチョロッと垂らす。これが実に美味い。

 

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相澤家は元々、足寄町奥足寄の本家から、相澤の父が分家し、1961年(昭和36年)に現在の下愛冠へと移住した。この時、父は11町歩=33,000坪の土地を330万円で購入。東京ドーム2個分と少しの広大な農地を手に入れたが、大卒初任給が13,000円前後の時代、相澤曰く「もう一生返せない借金だと思って

越してきたようだ。」「だって、高度経済成長するなんて誰も思ってないから。」と笑った。

この時、相澤11歳。小学校5年生までを螺湾(らわん)小学校で過ごし、6年生から市街の「足寄西小学校」へ転校。奥足寄といういかにも足寄の奥の方から街に越してきた少年は、「『2階建ての学校がある!』ってびっくりしたんだから。」と当時を懐かしそうに振り返った。この西小の校舎は、自分が中学に入学した頃までは現役で、古い2階建ての木造校舎は、歴史と威厳を持った堂々とした佇まいだった。

そんな風に下愛冠で新たな生活を始めた相澤家は、当初酪農をメインに、畑は「小豆」と「ビート」を栽培していた。足寄のセブン・イレブンの裏手には、古いサイロがひっそりとその姿を残し、当時の面影を残している。

 

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当時の下愛冠地区は、まだ畑や牧場が広がる農村地帯だったが、1966年(昭和41年)から町営住宅の建設が始まり、自分が物心ついた頃には、平屋の

住宅群が並ぶ「下愛冠団地」として住宅地へと変貌していた。しかしそうなってくると、ここで家畜を飼育する事が段々と窮屈になっていった。

「放牧地を電牧(でんぼく)で囲んでいるんだけど、雨が降ると効かなくなるのよ。それを牛が知ってて雨が降ると牧場から逃げて、団地の中まで行っちゃうんだわ。」また当時、近くに養鶏場があり、悪臭や虫などについての陰口が相澤の耳にも入って来ていた。それを聞いて「どうせうちの事も言われてるんだろうなぁ。」「ここで生き物を飼うのは至難の技だ。」と、既に家督を譲り受けていた相澤は、昭和56年(1981年)牛飼いをすっぱりと辞めた。

 

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畑作専業となった相澤は、自身の農地に加えて、近隣の畑を買ったり、借りたりして農地を広げていった。しかし、ふと「借りている農地を返せって

言われたらどうするべ?」と不安がよぎり、冬の時期に「しいたけ」の栽培を手掛ける事にした。1991年(平成3年)の事だ。

ところが、農地を広げた上に、多くの農業機械などを購入した結果、借金の額が莫大なものとなり、経営が立ち行かなくなる。相澤は借金返済のために売れるものは全部売った。土地も一度は全て人手に渡ったという。「一度そこまで落ちたんだ。」と相澤は当時を振り返る。そんな窮地の相澤家を救ったのが、「しいたけ」だった。経営の保険のように始めた「しいたけ」栽培が、本当に保険になってくれた。当時メーカーからの受注で、しいたけの「菌床(きんしょう)」を作っていたが、余分に作った「菌床」で「家族が食っていく分くらいは作れるべ。」と相澤は、「しいたけ」事業に自分と

家族の命運を託した。

 

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「しいたけ」の菌床作りと、栽培の2本柱で再起を図った相澤は、元来の研究熱心さとその人柄で、業績は右肩上がりで成長していき、規模を拡げた

菌床作りは、年商8,000万円を売り上げるまでとなる。

しかし、メーカー側から個人契約では、8,000万円までが限界。それ以上の取り引きをするなら、農協を通してくれとの通達が届く。交渉の末、農協も

これを承知してくれ、経理上の部分だけ農協を通す事で、取り引きは継続出来、相澤はホッと胸をなでおろした。ところが、その後も順調に売り上げを伸ばし、取引額が2億5,000万円程に届いた矢先、菌床作りの事業を農協が行うという事が決定した。相澤にとっては、青天の霹靂だった。

 

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しいたけの菌床作りの事業から撤退した相澤は、しいたけの栽培に加えて、アスパラ栽培も始めた。

丁度その頃、町外に出ていた長女と三女の娘2人が足寄に戻り、農場を手伝うようになった事から、2011年(平成23年)に農場を法人化し、「株式会社アイザックス」を設立した。アイザックスで生産するしいたけは、主に帯広の市場に出荷していたが、北見の「テルベ」というセブンアイ・ホールディングスの特例子会社から取引の話しが届き、しいたけを卸す事にした。「テルベ」は、重度の障害者や高齢者の雇用拡大のための会社だったが、この会社との出会いが再び、アイザックスの業績をアップしてくれる事になる。「テルベ」は、セブンアイ・ホールディングス傘下だった事から、担当者から「ヨーカドーのチーフバイヤーが、ナスビを作ってくれる人を探している。相澤さん、誰かいるかい?」と聞かれた相澤は、「そーか、そーか。じゃあオレが作ってやる。」と、ナスビの栽培に取り組むを事を決めた。ナスビは、現在「アイザックス」の夏の主力商品となっている。

 

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相澤は、栽培に当たっての「研究」や「工夫」の事を「いたずら」と表現する。「アスパラ」「しいたけ」「きくらげ」「ナスビ」を主力としているが、相澤は「他にも色々『いたずら』してるんだ。花豆、キクイモとかさ。だけど、なかなかヒット商品が生まれないんだよなぁ。」そう言って笑った顔は、正に「いたずら小僧」の顔だった。畑は、「しいたけ」「アスパラ」「ナスビ」のビニールハウスが建つ他に、路地物の「アスパラ」の畑があるが、相澤は、「いたずら」する畑を「まだ少し残してあるんだ。」更に、「しいたけ」も原木で栽培する「いたずら」をしているそう。この「いたずらしいたけ」が大層美味いらしく、「干して戻したのを味噌汁なんかに入れたらもうすっごい食感!歯ごたえがすごいんだよ!」「絶対、何かの商品になると思ってるからまだ『いたずら』したいんだわ。」と再び「いたずら」顔でこちらを向いてニヤッとした。

 

取締役の長女「相澤まさ子」さん23-16

代表取締役の三女「遠藤さちこ」さん23-17

 

「いたずら」が過ぎる相澤会長を、奥様と二人の娘さんが支える「アイザックス」の作物と商品は、農場の「直売所」と、足寄とお隣本別の道の駅、

そして足寄の道の駅エリアにあるJAの直売所「寄って美菜」などで購入できる。更に黒と白の2種類の「乾燥きくらげ」は、足寄の「ふるさと納税」の返礼品にもなっており、国産の安全な食材として人気を博している。どの作物・商品も相澤が、丹精込めて「いたずら」しているから美味しくないはずがない。

 

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「オレさぁ。農薬が嫌いなんだ。だからしいたけ作ってるんだよ。」

しいたけ栽培では農薬を使用しない栽培が推奨され、厳しい制限が設けられている。ハウスなど室内では、作業時に蚊取り線香すら使ってはいけない

そうだ。「あんたは、農薬を使った食べ物とかあんまり気にならないのかい?」と問われ、内心「ギクッ」とした。正直、自分自身はそう気にした事はなかったが、子どもが産まれてからは、子どもたちには極力、無農薬や低農薬のものを食べさせたいと考えていた。相澤にそう伝えると、「そうだよなぁ。」と話し、「子どもたちの給食とか気をつけてほしいよなぁ。」とつぶやくように言った。「アイザックス」では、足寄町の小中高校の給食に食材を提供している。有機肥料を使い、無農薬や農薬を限りなく使わない安全で、美味しい野菜を子どもたちに食べてもらう事は、相澤にとっては、この上ない喜びなのだ。そのために相澤は、日々「いたずら」に精を出す。足寄の子どもたちのために。いや日本の子どもたちのために。

 

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「面白くていたずらな」相澤会長に、「今後の展望は?」と質問すると、「オレの歳になると、投資して新規にっていうエネルギーがなぁ・・・。」と、らしくない言葉を口にした。しかし、その舌の根も乾かぬうちにこうのたまった。「でもね。可能性はいつでもあると思ってる人間だからねぇ。」とニヤリ。そうこなくっちゃ。そして相澤は、更にこう続けた。「あんただって、必ず役割があるんだぞ!」こうして、相澤との取材は、彼からの質問に始まり、彼からの激励で終わった。帰りのクルマの中で、「自分も、もっともっと『いたずら』しないとダメだな。」とそう思った。そして、そう思ったら、顔がニヤニヤッとなった。

 

 

 

「株式会社アイザックス」 足寄郡足寄町下愛冠1丁目 (0156)25-3881

 

※「アイザックス直売所」

(年中オープン 但し商品がない場合もありますので、事前確認をする事をおすすめします。)

 

「足寄町ふるさと納税」 

https://www.town.ashoro.hokkaido.jp/citypromotion/furusato-nozei/furusato_c.html

 

 

※ コラム内の情報は、2023年4月現在の情報です。

 

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