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足寄物語~Ashoro Stories その34 「Ro-bar-taららばい / ふきのしたのキッチン」

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足寄で「マスター」というとこの人の事を指す。「堀江 誠(ほりえ まこと)」。「Ro-bar-taららばい」そして道の駅のチャレンジショップで営業する「ふきのしたのキッチン」。この2店舗を経営する人物だ。ハンチングにメガネの奥の優しいまなざしと、良く通るバリトンボイスがトレードマークの「マスター」は、誰でも受け入れてくれる懐の深さと穏やかな人柄で、皆の人望厚きリーダーだ。

 

足寄の飲食街には、歴代「マスター」と言えばこの人という存在がいた。古くは「楡(にれ)」の真鍋マスターや、「パブ31(さぶいち)」の大沢マスター。

真鍋マスターは、バーテンダーとして本格的なカクテルを提供し、足寄では唯一と言っても良いオーセンティックなバースタイルで人気を博した。

一方の大沢マスターは、元々テーラーだった事もあってお洒落な方で、若者達と共にワイワイ飲むのが好きな人だった。「楡」は真鍋マスターが亡くなり閉店。

31」もコロナ禍により閉店したが、昨年常連客でもあった飲食業の方が店を再開させている。そんな足寄の名マスターたちに薫陶を受け、その後を継いでいるのが、「ららばい」の堀江マスターなのである。

 

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堀江マスターは、1960年(昭和35年)上川の美瑛町に生まれた。実家は畑作と稲作を営む農家だった。小中学校は、1909年(明治42年)に開校した町内の「宇莫別(うばくべつ)小中学校」に通い、美瑛高校を卒業すると江別市の「北海道測量専門学校」に進学し、測量士を目指した。

「高校の時に測量のアルバイトに行った事があってさ。そこの会社の人がすごく良くしてくれたんで、印象が良かったんだよね。『じゃあこの道に行こうかなぁ』って

選んだのさ。」専門学校を2年で卒業すると、マスターは旭川の測量会社に就職。するとその1年後、同じ専門学校の卒業生から「うちの会社に来ないか?」と引き抜きの話しが舞い込んだ。「場所は?」と問うと、「足寄」という返答だった。縁もゆかりもない足寄町。普通なら断るところだが、マスターは「行く!」と即答。

その理由は?「いやぁ。千春さんのファンだったからねぇ。やっぱり足寄は聖地だもの。来ちゃうよねぇ。」マスターはそう言って笑った。

そう足寄に来た理由は大ファンだった「松山千春」さんの故郷だったからだ。マスターは、高校生の時にラジオから流れて来た千春さんのデビュー曲「旅立ち」を聴いて衝撃を受け、千春さんにのめり込んだ。当時の千春さんはデビュー後も足寄に住んでいたし、ライブやラジオで「足寄」という名を連呼し、多くの千春ファンが町を訪れていた。自分が中学生の頃など千春さんの家の前の広場には大型バスが常に10程並び、若い女性が大挙押し寄せ、学校にまで来ては、後輩というだけで一緒に写真を撮ってくれとせがまれたものだ。それ程千春ファンには、足寄という町は一度は行ってみたい憧れの町だったのである。そんな足寄での仕事の誘いをマスターが断る理由は一つも見当たらなかった。堀江 誠 21歳の時だった。

 

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誘われるがまま足寄の測量会社に入ったマスター。「あの頃忙しかったんだよねぇ。当時、町道の道路台帳を作るのに、町中をくまなく周って測量して歩いたのさ。熊は出るしね笑」「それで台帳が出来てから、足寄の町道もアスファルトに舗装されたんだよね。」昔は砂利道だった町道も今はほぼ舗装されているのは、マスターのお陰だった。そんな忙しい日々の中でも仲間と連れ立って、飲みに出ていたマスターは一軒のスナックで運命の人との出会いを果たす。現在の南3条1丁目辺りの3軒長屋で「クロンボ」というスナックをやっていたのが、現在の伴侶であり、我々から「ママ」と慕われる「喜久江(きくえ)」さんだった。喜久江ママは、1947年(昭和22年)町内の平和という地区の農家に生まれ、学校を出ると昔の公民館に事務所があった「足寄町教育委員会」に勤め、その後29歳で「クロンボ」を開いたそうだ。

その「クロンボ」に足繁く通っていたのが、マスターだった。ママはマスターより13歳年上だったが、マスターは、その大人の魅力にヤラれたのであろう。猛アタックを仕掛けたのか。それとも千春さんの「恋」でも歌ってみせたのであろうか。見事ママのハートを射止めてみせた。

 

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マスターは測量会社で4年程働くと会社を辞め、ママと共に現在の南1条1丁目辺りに「ららばい」をオープンさせ、いよいよ「マスター」としての道を歩き始めた。1983年(昭和58年)の事だ。「学生時代に飲食のアルバイトしててね。嫌いじゃなかったんだわ。」マスターはそう転職を説明した。「最初はライブハウスみたいにしたくて、自分で弾き語りとかしてたんだけどさ、その内にカラオケが登場したもんだから、『お前の歌なんか聞きたくない!』ってね笑 それでステージをカラオケ仕様にしてさ。女の子も使ってね。まあカラオケスナックだね。」とは言いつつ、自分も一度帰省した際に昔の「ららばい」にお邪魔した事があるが、なかなかお洒落な

雰囲気でお通しも洒落ていて美味しかった記憶がある。いわゆる田舎のスナックという風情ではなかった。そんな風に「ららばい」をスタートさせたマスターとママは、1986年(昭和61年)に入籍。程なくして長女の「倫子(みちこ)」さんが誕生した。

 

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「ららばい」が出来た頃の足寄は、右肩下がりであったとは言え人口もまだ1万人を超えていた。栄えてました?とマスターに聞くと、「栄えてた。栄えてた。ホント栄えてたわ。」と当時の繁栄ぶりを興奮気味に話してくれた。「役場の職員も元気な人多かったよぉ。」「ケンカも多かったしさ。印象に残ってるって言ったらケンカしかないよなぁ。」とマスターはママに同意を求めるとママも「本当にそうだったねぇ。」と言って二人は懐かしそうに当時を振り返った。そんな「ららばい」が、オープンから25年程経った頃、足寄駅前の南北に延びる国道が拡張工事に入るため、立ち退きを迫られた。ところがなかなか空き物件が見つからず、前の店舗を退去してから

およそ半年後の2009年(平成21年)、現在の場所で以前のようなスナック形式ではない洋風の居酒屋「Ro-bar-ta ららばい」として再スタートを切った。

「あの頃は、足寄の飲食店も世代交代しているような時期だったんだよね。」マスターとママにとってもそれまでとは違う形態の飲食店を始めるという事で新たなる

挑戦となった。

 

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洋風居酒屋として再出発を果たした「ららばい」。当初はマスターの故郷である美瑛のジンギスカンを提供したりもしていたそうだが、「料理はママと二人で分担してるんだよね。僕が生ものに焼き物と揚げ物。ママはその他の料理ってね。」とは言え料理は独学。「刺身なんか最初変な風に切ってね。今思えばヒドかったわ笑」「寿司も出してるんだけど、初めはYOUTUBE見てやってたんだよね。でもこれじゃダメだって、昔あった『江戸っ子』っていう寿司屋の大将に教えてもらったりね。」とまあそんな風に研究と工夫を重ねて今があるのだと言う。そんな「ららばい」のメニューは、マスターが考案して、最終的な味をママが決めているそうだ。

人気の名物メニューと言えば「ザンタル」だろう。「ザンギ」に甘辛のタレを絡めタルタルソースをかけた逸品は、お客さんが必ず頼む一品だ。更に冬の時期は、「モツ鍋」が人気となる。その他にもカルパッチョやラワンぶきの季節には生のラワンぶきの天ぷらなども登場し、我々を楽しませてくれている。

 

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こんな風に美味しい料理と、マスターとママの人柄を慕って、足寄の老若男女、更に足寄を訪れる全国の松山千春ファンが「ららばい」の暖簾をくぐり、お酒と料理とおしゃべりを楽しみにやってくる。「ららばい」は、そんな我々の「我家」と言っても良い店なのだ。

 

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さて堀江マスターとママの夜の舞台が「ららばい」だとしたら、昼の舞台は、道の駅エリアのチャレンジショップで営業する「ふきのしたのキッチン」だ。

このチャレンジショップは、創業を支援し、街中のにぎわい創出、域外消費を取り込む事を目的に町が設置し、商工会が運営する施設で、2017年にオープンした。

狭いながらも2店舗が営業出来る間取りになっていて、これまでにカフェやソフトクリーム、食堂にクレープと様々な町内事業者が店を出してきたが、「ふきのしたのキッチン」だけが、オープンからこれまで営業を続けている。実はこのチャレンジショップの建設が決まった頃、マスターは故郷の美瑛町で、美瑛の豚肉、お米を使い、十勝名物である豚丼をアレンジした商品を売り出そうとしていた。ところが、チャレンジショップの入居店がなかなか決まらなかったため、「空いてるんだったらやろうかなぁ。」と出店を決め、当初お米を使うはずだったものを足寄の有名店「髙橋菓子店」のパンに代えて、豚丼の肉をサンドしたホットサンド「豚ぱん」を売り出し、現在も人気メニューとなっている。そんなマスターのアイディアと町を盛り上げたいという情熱は留まる事を知らず、足寄の素材を使ったメニューを次々に開発して「ふきのしたのキッチン」で販売してきた。まずは、北海道遺産でもある「ラワンぶき」を使った「ラワンぶきカレー」。これは、町内の特産を創ろうと集まったグループから「ラワンぶき」の葉を使って何か考えてもらえないだろうかと打診を受けた事から始まったのだが、まずは「ラワンぶきのお茶」を作った。

「手間かかるんだよねぇ。収穫した葉っぱを絞ってから冷凍したものを買うんだけど、それを乾燥させて、揉んでね。なかなか大変なんだけど、あれは売れたんだわ。」 そして次の一手としてカレーに挑戦。最初は葉っぱを粉にしてホワイトカレーに混ぜ込んだが、葉の繊維が残ってしまうため、今度はミキサーにかけてジュースにしたものを使うとこれが上手くいった。「それで具にはラワンぶきも入れてね。緑色のカレーが完成したのさ。」ラワンぶきカレーも店の看板メニューとして人気を博した。ところが!「その依頼してきたグループがさ、商品完成したら満足しちゃって、もう葉っぱの収穫はやりません。って言い出してね。燃え尽き症候群さ笑」

マスターは笑い話のように話してくれたが、かと言って自分達で収穫する訳にもいかず、売れていたというお茶は生産中止。「ラワンぶきカレー」も今は、色をほうれん草などで代用し、具のみにラワンぶきを使っている。「でも、ラワンぶきの葉っぱじゃないと、いい色が出ないんだよねぇ。」マスターは残念そうにポツリとそうこぼした。その他にも足寄産のグラスフェッド牛「雲海和牛」を使った「足寄スタミナ和牛丼」に「大空と大地の雲海和牛カレー」や、足寄産のイチゴ「スウィーティーアマン」を使ったフルーツサンドやパフェ、ラッシーなどを販売。更に食材ではないが、足寄産のカラマツが原料の木質ペレットのオーブンで焼き上げた「焼き芋」も

人気を博している。マスターは自身の商売よりも、町を盛り上げたいという情熱で大いに貢献してくれているのだ。

 

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さて堀江マスターと言えば、これまで紹介した飲食業とはまた別に「シンガーソングライター」そして「歌唱講師」としての顔を持つ。松山千春さんに憧れた少年は、千春さんのようになりたいとギターを手にし、今も「ららばい」や「ふきのしたのキッチン」などで弾き語りを披露する。しかし、ある日自身が弾き語りした音源を聴き直すと、「なんか、ヘッタクソだったんだよね笑 だから歌を習いに行こうと思ったのさ。」そんなマスターが門を叩いたのが、帯広の「安藤和憲歌謡学院」。

あの演歌歌手「さくらまや」さんを育てた名伯楽に師事した。「でもてっきりボイストレーニングとかしてくれるのかなぁと思って行ったんだけど、先生から『色々な大会に出なさい。』って薦められたんだよね。」「で、大会に応募しても落ちてばっかりで、それで本気になってやり始めたのさ。」そんな折、娘さんがSTVテレビで募集していた「全日本歌唱力選手権 歌唱王」という大会に出たらと連絡をくれた。「その大会の北海道予選が、STVホールでやるって聞いてさ。STVホールったら千春さんが歌ってた場所だから、これは出なきゃって出たんだよね。そしたらテープ審査通って北海道予選に行けたのさ。」こうしてマスターは、憧れのSTVホールで歌うという悲願を果たした。ところがそれだけで終わらなかった。何とマスターは北海道代表として本選出場を勝ち取った上に、決勝大会でも、最終の12人に残った。

歌ったのは、松山千春さんの「ひとりじめ」だった。惜しくも優勝は逃したが、マスターはその後、「北海道歌謡連盟」の公認講師となり、「安藤和憲歌謡学院足寄校」や自身の音楽クラブ「with」を主宰し、歌好きの町民にレッスンを続け、年に数回コンサートを開催したり、千春好きが高じて、仲間と「千春のど自慢大会」を企画し、毎年大勢が出場する大会として成長もさせた。「僕は歌、音楽しかないからさ。アマチュアの人が歌える場所を作りたいね。あっ!町民カラオケ大会もやりたい!!」「あとは千春のど自慢大会にいつか千春さん本人に来てもらいたいよねぇ。」そんな風に次々と夢を語ってくれた。

 

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(千春のど自慢大会のポスターデザインは一人娘の倫子さんが手掛けている。)

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マスターが足寄に来て45年の月日が流れた。今では「足寄のために!」と奔走するマスターに、足寄の未来像を聞いてみると。「若い世代が、もう少し新しい事に挑戦するみたいになってほしいかな。古い人の知恵を借りてね。何でもやってみないと分からないから。足寄の昔の事業者の人たちは『町のために!』って色々やってたからね。やっぱりそうなってほしいよねぇ。」そんな風にマスターは、足寄の若い世代に願いを託した。

 

 「松山千春が好き!」たったそんな事が縁で、足寄へと辿り着いた男は、憧れの地で妻と出会い、娘が生まれ、家族を築き、町民や千春ファンにとっての「我家」のような場所を作ってくれた。

 

 夕暮れの街、病院通り、角を曲がれば、灯りし、我家(ららばい)

 

今晩もマスターとママが優しい笑顔で待っていてくれる。それが、「ららばい」という店だ。

 

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Ro-bar-ta ららばい」  足寄町南2条2丁目4   (0156) 25-5292 (日曜定休)

 

「ふきのしたのキッチン」 足寄町北1条1丁目3-1(道の駅エリア) (不定休)

 

「ふきのしたのキッチン」Facebook  https://www.facebook.com/p/%E3%81%B5%E3%81%8D%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3-100066826719243/

 

 

※ コラム内の情報は、202412月現在の情報です。

 

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