2026年3月22日 「帯広競馬場」では、2025年度を締めくくる「ばんえい十勝」のメインイベント「第58回ばんえい記念」が開催され怪物「メムロボブサップ」が圧勝で連覇を飾った。競馬場につめかけたファンは、8,725人。帯広での単独開催となった2007年以降の「ばんえい記念」開催日の入場者記録を更新した。
自分もこの日、帯広競馬場の門をくぐったが、ここには足寄高校時代にラグビーの試合で訪れたことがある。実に45年ほども前の事だ。その頃の帯広競馬場は「ホッカイドウ競馬(道営競馬)」が開催されており、いわゆるトラックコースの競馬場だったが、トラックの中央部分には芝が張られ「馬事公苑」としてラグビーなどの
試合に開放していた。現在の帯広競馬場にその当時の面影は見当たらないが、あの時、試合開始10分もしないうちに相手選手の頭からのタックルを左膝に受け、
あまりの激痛にのたうち回った記憶がふつふつと蘇ってきた。還暦を迎えた今、その古傷はサポーターなしでは悲鳴を上げる。まさか取材に来て、45年も前の悔しさを思い出し、わなわなと怒りに震えるとは思いもしなかった。



そんなわけで、帯広競馬場は2回目なのだが、「ばんえい競馬」を観戦するのは実はこれが初めて。コース脇で観戦していると、熱狂的な「ばんばマニア」たちが、
スタートと同時に馬と並走し、「おらぁ!いけー!」「〇〇がんばれー!!」と声援を送り始めた。その声援はゴールが近づくにつれ怒号へと代わり、やがて歓喜もしくは溜め息で締めくくられる。
馬たちの重量感溢れる競争に加えて、並走するファンの魂の叫びがその迫力を倍増させているようだ。競馬場内では老若男女、幅広い層の来場客が思い思いに過ごしている。真剣に馬を見定め馬券を買う者、競馬場グルメを楽しむ者、馬やレースの写真を撮影している者、デートを楽しむ若者たち、競馬場に通ってウン十年とお見受けする老練なお方などなど、その光景に現在の「ばんえい競馬」の人気の高さをうかがい知ることができた。



北海道の開拓や農業と馬は切っても切れない間柄。いや馬なしでは生きていけなかったと言っても過言ではない。昔の農家は、馬の1頭や2頭は当たり前のように飼っていた。酪農の家だったわが家にも自分が3~4歳くらいまでは馬がおり、車を運転できない祖父はその馬に馬車や馬そりを引かせ火山灰を運んだり冬の薪にする木を運んだりと馬を自在に操っていた。
そんな「北海道の馬文化」は、「北海道遺産」にも選定されており、「ばんえい競馬」もその”馬文化”の一つに数えられる。更にこの「ばんば」スタイルの競馬は世界でもここ十勝にしかなく、わが足寄町は、その「ばんえい十勝」に多くの競走馬を送り込んでいる北海道有数の馬産の町なのである。この日の2025年度最終日の全12レースにも足寄で産まれた馬11頭を送り込んだ。
「足寄は道内でも群を抜いて馬がいたんだわ。」そう話してくれたのは、町内中足寄で畜産を営む「有限会社 永井畜産」の代表「永井 和弘(ながい かずひろ)」だ。
和弘さんは続けた。「オレが馬をやり始めた40年くらい前は、共済加入の馬だけでも1,000頭はいたからね。1,000頭を超えてるのは足寄だけだったんだよ。」
この和弘さんの「永井畜産」は、和弘さんの父「永井 満(ながい みつる)」が初代。「うちのじいさんは、分家したんだけど、そんなに広い畑をもらったわけじゃないから当時まだ山の木を切り出すのに馬を使って運んでて、『馬追い』って言うんだけどさ。その『馬追い』で稼いでたのさ。」和弘さんが「うちのじいさん」と呼ぶ
満さんは、御年93歳。足寄の馬産の第一世代の一人で、今や生き字引とも言える方だ。
「足寄にはね。馬好きや馬を生産している人が多かったんだよね。で、その馬の仲間が集まったときに『馬の会作るべや。』って事になって作ったのが、今の馬産振興会、その時は馬産同好会って言ってたかな。昭和51年(1976年)にね。」満さんは、遠い記憶を辿ってそう教えてくれた。
そう。満さんたちが立ち上げた「足寄町馬産振興会」は今年創立50周年を迎える。
永井 満さん



満さんとともに「足寄町馬産振興会」を立ち上げた仲間は他に4人。奥足寄の「相澤 醇一(あいざわ じゅんいち)」さん、上足寄の「只野 幸一(ただの こういち)」さん、鷲府(わしっぷ)の「高橋 敏(たかはし さとし)」さん、
そして平和の「加藤 茂(かとう しげる)」さん。満さん以外は既に全員鬼籍に入られているが、この五人衆が中心となり十勝にはまだなかった馬の会を立ち上げた。
「足寄町馬産振興会」には、町内で馬を飼っている農家がもれなく会員となりその数は46人を数え、会ではその情報網を駆使して仔馬の出産状況などの情報を共有した。さらに、ばんば競走馬を目指す2歳馬を対象とした「能力検査」の際には、毎年振興会を挙げて応援に行ったり、重賞などを獲ると祝勝会なども行ったそうだ。
相澤 醇一さん

只野 幸一さん

高橋 敏さん

加藤 茂さん




「いやぁ。昔はみんな若くて元気良かったから馬の会もにぎやかだったよぉ。」そう話すのは町内の奥足寄、国道沿いの「留田牧場」の主「留田 邦彦(とめだ くにひこ)」。現在の「足寄町馬産振興会」の会長である。「昔は帯広だけじゃなくて、旭川とか北見、岩見沢でもばんえい競馬をやってたから能力検査も各地でやってたんだよね。その時は振興会でバスを貸し切って応援に行くんだけど、昔は馬も多くて能力検査に受かるのが至難のわざだったから、足寄の馬が受かったら『ご祝儀だ!!』って、みんな1万円札出してさ、バスの中でどんちゃん騒ぎ始めるんだよね。しまいにはコンパニオンまで呼んでホテルでも朝まで騒いで。それで翌朝そのままコンパニオンもバスに乗せて能力検査会場行ってまた飲みながら応援してたんだから。よくあんなことやってたよね。」そういって留田はあきれ顔で笑った。
この「能力検査」、今年は4月12日に令和8年度の第1回目が行われ、全道から2歳馬139頭が出走。うち33頭が合格したが、トップタイムで合格したのは、「永井畜産」生産の「アオニシキ号」。圧巻の走りだった。足寄の馬はこの「アオニシキ」を含む22頭が挑戦し6頭が合格した。検査はこのあとも続くのでまだまだ足寄の馬たちが合格しそうだ。
さてこの「能力検査」、自分も朝イチから競馬場に赴いたが、調教されているとはいえ、観客の前でレースをするのは初めてとなる2歳馬たちは、障害を越えられずに
途中であきらめて寝転んでしまうもの、全く動かなくなってしまうもの、圧倒的な力を見せ、将来を期待させるものなど、それぞれの個性と能力が手に取るように見てとれた。そして、そんな馬たちを”期待”と”不安”の眼差しで見つめる「生産者」と「馬主」。それはまるで、新1年生の運動会を見つめる保護者のようだった。
中央が留田 邦彦会長




今年創立50周年を迎える「足寄町馬産振興会」。先ほどお酒の話しを先に書いてしまったが馬文化を広めるために様々な活動もしてきた。町のお祭りの際にはパネル展示や馬肉製品のPRなどをし、ネイパル足寄では子どもたちに馬と触れ合う機会を設けたりもした。そしてなにより、足寄の一大イベントの一つだった草ばんば大会を主催していた。
「永井畜産」の先代、満さんは、「振興会を作る以前はね、馬の組合があって、昭和21年頃だったかなぁ、草ばんばをやり始めてね。でも2~3年やったんだけど一度なくなったんだよね。そのあと、昭和43年に今の足寄高校のところに昔は馬検場があって、そこで『第1回ばんば大会』が始まったんだ。」そう話してくれた。
このばんば大会は、自分も子どもの頃に行った思い出がある。母方の祖父が馬が好きでこの大会にも出場していたからなのだが、場所は今の足寄町民センターがある
場所で開催されていた。馬を運ぶトラックと出店がずらりと並び、たいそうにぎやかだったことを覚えている。
「足寄のばんばには、100頭から150頭出てたんだよ。毎年9月15日にやってて、足寄の神社の秋祭りと同じ日だったんだけど、みんなばんば見に来て神社に行かないもんだから、神社の祭りが日にちを変えたんだからね。」満さんは懐かしそうに、そして誇らしげにそう話すとニッコリと微笑んだ。




足寄のばんば大会は、場所は変わるものの毎年開催され、全道各地から草ばんばの猛者が集ったという。
足寄町馬産振興会の留田会長は、「賞金も出てたからね。もう賞金稼ぎだね笑 僕ら世代はまだ青年部として運営に携わってて、ソリの重しを乗せ換えたりとかね。で、ばんばに来る人ってけっこう強面の人が多くて、レースに負けると腹いせに『お前らの荷物の載せ方が悪いから負けたんだ!!』とか怒鳴り込んできてね。
もうケンカさ笑」 さらに留田会長が若いころにはこんなこともあったという。「ちょうど、ばんば大会の日に帯広で仲間の結婚式があったんだけど、披露宴が終わってもまだ足寄では大会やってる時間だったもんだから『手伝いに行かないとまずいべや』って、急いで足寄に戻って青年部のメンバーみんなスーツ姿で手伝ってたら
『さすが足寄だね。』って言われてね笑 色んなことありましたよ。」
留田会長の話しを聞いていると当時の足寄の馬に関わる人たちの熱が伝わってくるようだ。
そんな風に隆盛を誇った足寄町のばんば大会も、第一世代が引退していくと次第に町内からの参加も減り、「最後の方は、町外の人ばっかりで、馬もポニーレースが
多くなってって。」と留田会長。足寄町ばんば大会は、2007年(平成17年)、第38回大会を持って40年近くに及ぶ歴史にピリオドをうった。



時を同じくして、公営の「ばんえい競馬」も、旭川・北見・岩見沢での開催を止め、存続自体が危ぶまれた。
留田会長は、その頃をこう振り返る。「いやぁ。もうなくなるべなぁって思ってたね。で、ある日畑で仕事してたら、永井の和弘さんから電話がかかってきて、『おい。ばんばのファンから「お前らこれでいいのか?」って言われるんだけどよ。』ってさ。」「それじゃあやれることやるかって、陸別と本別の馬産振興会の青年部長に声かけて存続運動やろう!ってね。」永井和弘さんや留田会長が中心となり、足寄町馬産振興会青年部が音頭をとって、3町の青年部は多くの署名を集め、マスコミも巻き込んでの決起集会を開いた。
果たして。彼らの「ばんえい競馬の灯を消すな!」という熱はばんえい関係者の心を動かし帯広単独開催が決まった。
2007年「馬の一発逆転ライブショー・ばんえい十勝」をキャッチフレーズに「ばんえい競馬」は新たなスタートを切った。



「とりあえず、帯広単独開催ってことになってホッとはしたけど、そのあとが大変だった。売り上げが上がらなくて、さすがにこれはもう無理だなぁって思ったね。」
留田会長は当時をこう振り返る。しかしまたもやギリギリのところで「ばんえい十勝」はばんば馬のごとく踏ん張った。
2012年に「ばんえい競馬運営ビジョン」を策定すると、そのビジョンに沿った様々な施策を試み、徐々に徐々に売り上げの前年比をクリア。ついには2024年度、578億2,265万円を売り上げ過去最高を更新した。昨年度は、馬インフルエンザや大雪の影響で9日間レースを中止したことから売り上げは前年割れしたが、それでも548億円強を売り上げている。
留田会長は、「昔は足寄産の馬だけで競争する『足寄産駒(あしょろさんく)記念』っていうレースがあって、その日は足寄からバスツアー組んで応援しに行こうって競馬場行ってたんだよ。足寄町フェアとかもやって特産品を売ったりして、そんなのを10年くらいやったけど、足寄の馬10頭揃えるのがむずかしくなって止めたんだよね。だけど、また足寄の馬、増えてきたのさ。ここ数年は毎年20頭ほどデビューしてるし、今年は能力検査にも30頭以上登録してるんだから。」そう言って目を輝かせ、「馬産振興会の生産者がみんながんばってくれて、足寄産の強い馬もいるから、その馬たちの活躍を見るのも楽しいね。」と相好を崩した。



「今、ばんえいが好調だから、なんとか馬やる人が増えてくれればいいんだけどね。」留田会長が希望を込めてそう言うように、足寄町の馬産振興会の会員も高齢化し現在の会員は19人となっている。「永井畜産」の「永井 和弘」代表も「少なくなる一方だよねぇ。」と寂しげに目をふせた。馬の生産がまた増えてきたと言っても、
JAあしょろによると、足寄町の馬の生産数も20年前の2006年(平成18年)には116頭いたが、2025年(令和7年)は46頭だという。
一方で足寄町に移住してきてから馬に魅せられ馬の生産を始めた男もいる。このコラムでも一度登場してもらった「自家焙煎珈琲 座間屋」のご主人「座間 宏太(ざま こうた)」その人だ。現在コーヒー豆の焙煎、そして自分も子どもの頃から馴染みのある書店「村上澄好商店」通称「やまちょうさん」を事業承継し経営するかたわら、3頭の馬を飼育しこれまでに4頭の仔馬を生産した。その仔馬のうち、座間が馬産に挑んで最初に生産した馬が先の能力検査に初挑戦した。
「一つ目の障害登れるかなぁぁ。」と不安気な座間だったが、タイムは伸び悩み結果は不合格だったものの見事完走。馬の師匠からは「次は受かるわ。」と太鼓判を押され、座間の表情は”不安気”から”安堵”のそれに替わった。自身の生産した馬が「ばんえい十勝」でデビューということになれば、また座間のモチベーションも上がるに違いないだろう。つい先日も一頭の仔馬が産まれたばかり。「でも一回注射を打ったらすっかり嫌われちゃってぇ・・・。」とさみしそーな笑みを浮かべた。
そんな座間に、”夢はばんえい記念優勝馬だね?”と問うと、「そうですねぇぇ。重賞走るような馬を作ってみたいですよねぇぇぇ。」と大きな夢を語った。
しかしその口調は「すっかり嫌われちゃってぇぇ。」の時のテンションとそう変わらない。でもそんな感情の波が少ないところが、馬から見ても接しやすいのだろうと思った。ただし注射さえ打たなければだが・・・。
「1頭、1頭、性格が違うから面白いですよねぇ。」馬の飼育を始めて4年目の春を迎え、馬の楽しさや生産のむずかしさを身を持って体験し、彼も1年、1年、馬産家として成長しているようだ。”馬産振興会期待の星だからねぇ。”とからかうと「46歳ですけど、最年少ですからねぇぇ。」と変わらぬテンションで答えた座間は、「本当に皆さんにお世話になりっぱなしなんで、がんばります!」最後はいつもよりもほんの少し強い調子でそう話してくれた。
座間は珈琲屋と本屋と馬屋を兼ね、農家ではない仕事をしながら馬の生産も出来るという可能性を示してくれた。同じようにして足寄で馬を生産してくれる方が増えることを祈るばかりだ。


留田会長が小学生の時のこと。「夜、ベロンベロンに酔っぱらったオヤジが帰ってきて『馬買ってきたから見て来い!』って。」
「姉たちと見に行ったらカワイイなぁって。」 その日から馬の世話は留田の係になった。「馬は牛に比べたら懐くし、こいつを”ボス”と思ったら従順なんだよね。
だから出荷する時に目を見ちゃうとねぇ・・・。」 畑作そして和牛生産と並行しながらも留田は、ずっと馬と一緒だった。
「馬追い」の名手だった「永井 満」はその腕を買われ、ばんえい競馬の騎手までこなし仲間と馬産振興会を作り足寄の馬文化を守って来た。
ずっと馬と一緒だった。
そして、その満を父に持ち、自身も草ばんばで手綱を握った「永井 和弘」は、「全道で一番の馬屋になってやるべ!」と父と約束し、馬と言えば「永井畜産」と言われるようになった。 もちろんずっと馬と一緒だった。
「座間 宏太」は、あと5年もしたら「座”馬” 宏太」に改名しているかもしれない!?それまでもその後もずっと馬と一緒だ。
そしてそんな面々に限らず、足寄の馬産農家はずっと馬と共にあったのだ。足寄の景色の中にはずっと「馬」がいて、そしてこれからもずっと「馬」はいる。
丙午(ひのえうま)の今年「足寄町馬産振興会」は創立50周年を迎える。






「足寄町馬産振興会」
※ コラム内の情報は、2026年4月現在の情報です。
資料・写真・データ提供 JAあしょろ
写真提供 とかち馬文化を支える会
相澤 満洋氏
高橋 稔氏
加藤 道明氏
奥泉 圀博氏
座間 ゆかり氏
ご協力 松本農場
加藤種馬所
